バケモノの子でクジラになったのはなぜ?一郎彦はその後どうなった?

バケモノの子でクジラになったのはなぜ?一郎彦はその後どうなった?映画
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細田守監督の映画『バケモノの子』が最近テレビでも放送されて、また少し話題になっているようです。

何度も見たくなる作品ですが、この作品で一番気になるのは、なぜ一郎彦は鯨(クジラ)になったのかということですよね!

一部では「駄作」だの「クジラが意味不明」という意見も出ていて、このクジラの部分か引っかかっている人も多いようです。

一体なぜ一郎彦はクジラになったのでしょうか?

またクジラになってしまった一郎彦ですが、その後はどうなったのでしょうか?

色々気になるところがあるのでまとめてみたいと思います。

それでは、バケモノの子で一郎彦が鯨(クジラ)になったのはなぜなのか、また一郎彦はその後どうなったのかについて見ていきましょう!

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バケモノの子で一郎彦がクジラになったのはなぜ?

物語の終盤、九太と一郎彦との対決の際に、一郎彦がクジラのバケモノに変身します。

この時に思うのは「なぜクジラに?」ということですよね。

一郎彦が心の闇に囚われたため

一郎彦がクジラになった理由は、心の闇を拡大させて闇に囚われたためです。

心の闇を表現するのに「クジラ」を用いたということになりますね。

「バケモノの子」の世界では、バケモノはみな「人間は弱い、弱いがゆえに心に闇を宿す」と、人間の心の闇の怖さを知り警戒しています。

一郎彦は人間ですが、幼い頃に猪王山に拾われて「バケモノ」として育てられます。そのため、一郎彦もバケモノと思って育ちます。

しかし、成長するに従って一郎彦自身も自分が人間であることに気付いていきます。

そんな中で九太がバケモノの世界で人間として認められていく姿に、一郎彦は嫉妬を抱いていきます。

そして、その嫉妬心が大きくなり憎悪へと変化をし、戦いの際にその心の闇が「クジラ」となって表れたのです。

いわゆる『闇落ち』ですね。

「闇落ちしてクジラになった」というのが答えですが、なぜクジラなのかというのが疑問です。

この部分に着いていけなくて評価を下げている人が多いようです。

 

『白鯨』の小説がクジラのきっかけになった

前述のとおり、一郎彦は心の闇に囚われてクジラになったのですが、そのきっかけとなったのが『白鯨』の小説です。

楓が落とした白鯨を拾って見て「ク・・ジ・・ラ・・?」とつぶやいているシーンがあったので、その時に本を見てイメージしたクジラが形になって現れたということになります。

ここで映画をしっかり見ていた人は疑問を持ったかと思うのですが、なぜ一郎彦は文字を読めたのかということです。

九太のようにバケモノは字を読めなかったはずです。バケモノとして育った一郎彦も字を読めないはずですが、このシーンでは読めています。

これは映画では説明が無かったのですが、小説版には理由が書かれていました。

「バケモノの世界において「文字」はあまり使われてないものの全く使われてないというわけではない」とのことです。

そもそも人間界のものはほとんどバケモノ界で発明されていたが、バケモノにとってあまり必要ないものは民衆が使わなくなっていくようで、その一つが「文字」のようです。

さらに映画では、宗師の素質を得る為には「強さ、品格、素行」に秀でていなくてはならないと説明されています。

一郎彦のような優等生や身分の高い一部の人は「文字」を習っていて読めるようですね。

そんな一郎彦が『白鯨』の小説を見てクジラに変身してしまったということになります。

 

物語はクジラが核になっている

一郎彦がクジラに変身したのは何もこの時に突然ということではなく、物語の序盤から伏線が存在していました。

「バケモノの子」では、全編を通して随所にクジラが出てきます。

映画冒頭に漣(九太)の親戚が集まって引っ越し準備をしている際に、『白鯨』の児童書版『白クジラ』が本棚から引き抜かれて段ボールに放り込まれていました。

久太は幼い頃にも白鯨にふれていたということになりますね。

そして、が図書館に行った際に手にしたのが白鯨』です

たまたま手にしたように見えるのですが、子供の頃に縁のあったものを直感的に手にしていたようですね。

『白鯨』については、楓に「鯨」の読み方を尋ね、蓮と楓が出会うきっかけとなりました。

たまたま手に取ったように見えた『白鯨』ですが、実は冒頭の『白クジラ』ともリンクしているし、それを見た一郎彦が鯨に変身するし、かなり重要な意味があったようです!

また、楓は漣に白鯨』の解釈についてクジラは自分を映す鏡で、主人公は自分自身と戦っているんじゃないかな?」と、解説するシーンがあります。

この点を踏まえて、クジラに変わってしまった一郎彦と漣との最後の戦いを考察してみると、一郎彦の人間の闇がクジラという姿に変わっていましたが、蓮側から見ると、『クジラに変わった一郎彦は「自分自身」であり、蓮は自分の闇と戦っていた』ということを描いていたと考えることができます。

とても上手くできていますね。

つまり、一郎彦が「クジラ」になったのは大した理由はないという訳ではなく、物語のテーマを描く上で「クジラ」でならなければならなかったということですね。

 

映像的にも必要だった

映画のパンフレットに掲載されているプロダクションノートの記事によれば、最初の作画指示では「久太は闇に囚われた一郎彦と戦う」としか記載はなかったようです。

作画が出来上がっていくうちに、元々脚本としては存在していた九太が興味を持つ『白鯨』をベースにする事にしたのが、一郎彦がクジラになった理由の一つだそうです。

また、クジラなら映像の表現としても圧倒的な存在感がありますし、クライマックスには最適です。

映像的にも迫力がありますし、道路から飛び出しながら泳ぐクジラのシーンは圧倒されてしまいます。

映像的カタルシスを生むためにもクジラへの変身は必要だったのではないでしょうか。

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バケモノの子の一郎彦はその後どうなったのか?

最後の対決で闇を払われ元に戻った一郎彦ですが、その後はいったいどうなったのでしょうか?

闘技場では熊徹に致命傷を負わせ、自分と同じく闇落ちさせようとしていましたし、人間世界ではクジラになって大暴れです。

けっこう許されないような取り返しのつかないことをしているのですが大丈夫なのでしょうか。

 

バケモノの世界に戻り猪王山の元で過ごしていく

映画では詳細は語られていなかったのですが、小説版の中では、彼の処遇について触れられていました。

宗師さまや議員などお偉方が、彼の今後について話し合っていました。

結論としては、人間をバケモノの子として育てた猪王山が、責任を負うことになりました。

その責任とは、「今後も一郎彦を息子として育て、再びやり直すこと」です。

本来なら引き入れるべきでない人間・九太によって、渋天街が救われています。彼が成した功績のおかげで、同じ人間である一郎彦も追い出されずに済んだようです。

九太から託された手首の赤い紐が、彼が闇や苦しみから救われたことを物語っているようです。

あれだけめちゃくちゃなことをしたのだから、もっと酷い罰があってもいいのでは?と思うところもあるのですが、元の生活に戻るという感じですね。

人間世界ではけっこう交通事故や爆発が起こっていたようなので、可哀そうな気もしますが、バケモノ世界と人間世界は違うので、これはこれでいいかと思います。

ラストでは一郎彦の闇要素が抜けていたようなので、これからはバケモノの中で真っ当に成長していくのではないでしょうか。

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バケモノの子でクジラになったのはなぜ?【まとめ】

「バケモノの子」の一郎彦がクジラになった理由を見てきましたがいかがでしたでしょうか。

一郎彦は人間の闇に囚われてしまい、落ちていた『白鯨』の小説を見たことがきっかけでクジラになってしまいました。

最後は九太によって闇は払われ、その後はバケモノの世界に戻り猪王山の元で過ごしていくことになるようです。

以上、バケモノの子で一郎彦がクジラになったのはなぜなのか、また一郎彦はその後どうなったのかについてまとめてみました!

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